長瀬神社
 明治3年には三重県告示により神餞幣帛供進社に指定され、公の手厚い待遇を受けられた。
 社殿背後の武備塚は倭建命(やまとたけるのみこと)の御陵とされている。江戸時代には亀山藩は武備塚を尊の御陵と決めていたが、明治5年、川崎町の王塚が尊の陵墓に指定されることとなる。武備は多気比、建部の訛りと思われるが定かでない。
 また境内には武備塚の他に車塚古墳があり、その上には明和7年に建部綾足(たけべあやたり)が日本武尊の臨終を歌った片歌碑がある。綾足は片歌の祖として尊を慕い、姓も建部と改め、村人を集め御幣川の石を曳いて、この碑を建てたものと言われている。
 境外には宝裳塚、宝冠塚など倭建命の最後を物語る遺跡がある。

片歌碑

片歌碑の内容