洞水寺の腹切り地蔵

曹洞宗の寺院で応永年間月村大枝の開基。他に鈴鹿七福神霊場会として福禄寿尊天を祀る。毎月七日命日。身代わりに腹を切り病を治してくれると言い伝えられる地蔵さんが山門頭にある。
C-BUS K小社公園 下車 徒歩3

長瀬神社詳細

醍醐天皇時代(10世紀初期)に編纂された延喜式にも記載されており歴史は古く、長瀬郷であるための社名と思われる。日本武尊等を祭神とし、社殿背後の武備塚は日本武尊の御陵とされる。他に、車塚古墳、宝裳塚古墳、宝冠塚古墳等、日本武尊の最後を物語る遺跡があり、建部綾足が日本武尊の臨終を歌った片歌碑もある
C-BUS 長沢 下車 徒歩15

龍ケ池詳細

伊船村の大庄屋真弓長左衛門が伊船新田の灌漑用水として谷を堰き止め造ったといわれる。完成間近にして再三の出水のため堤防が崩された。これを占うと水神のたたりで人柱をたてなければいけないとのこと。この難工事に来ていた主人のもとに弁当を届けた『お龍』という若い娘が生きながらにして堤の下に埋められ人柱となり、ようやく池が完工した。これ以後、池の魚の背中にはコブがあったという。それはお龍が弁当を背負った姿であろうと伝えられている。伊船新田には真弓長左衛門の偉業を称える真弓神社がある。
C-BUS N伊船口 下車 徒歩3

双子塚詳細

日本武尊が双生児(大碓命、小碓命)であったとの伝承がからんで明治初年には日本武尊御陵として申請運動が盛んであった。1号墳から3号墳の円墳から成り、横穴式石室が開口している。
C-BUS @長沢保育園 下車 徒歩5

源頼朝伝説

建久元年(1190)頼朝上洛し権大納言大将に拝し鎌倉に帰る途中、北畑の丸岡野で鶉狩をしようとしたが果たさなかったとの伝説がある。北畑の北方が頼朝の茶亭にあてられたといわれる。
C-BUS F上野 所在地 不詳

姫 塚詳細

後花園天皇の第一皇女で按禅寺殿という姫君が応仁の乱を避けて京都から金光寺に身を寄せられた。長年月この寺で過ごされ57才で亡くなられ東野(階下東方)に葬られた。
C-BUS A原四ツ辻西 下車 徒歩10