狐 塚

方墳の形態で7世紀のものと推定される塚である。遺構は径17m・高さ2.5m、集濠外側は東西17m・南北19mある。横穴式石室で床面1.8m・長さ5.5m、遺物は須恵器土器等が1968年発見された。現在は茶畑地で塚跡に目印となる石が置かれている。
C-BUS L深伊沢出張所下車 徒歩10

戸尻塚

深溝と石薬師との間に境界紛争が起った。そこで話し合いにより1720年に境界線を戸尻塚から寺井池の線を見通して境塚ができた。この戸尻塚は径10m・高さ2mほどの円墳で現在は竹がうっそうと茂っている。
C-BUS L深伊沢出張所 下車 徒歩20

掩体壕

戦時中作られた「北伊勢飛行場」に附属した施設の一つ。飛行機の格納庫また防空壕として作られる。構造は土を積み上げた土塁式、カマボコ型のコンクリ一ト製の二種。数十あった掩体壕の内、コンクリ一ト製が一つ残る。
C-BUS Q三畑 下車 徒歩5

舘三之吉碑

酒井三之吉は、1863年に深溝村で生まれ、後に舘家を継いで舘三之吉となる。養蚕業の技師として、三重はもとより山形・鹿児島・福島・滋賀・香川県等で養蚕の指導並びに普及に努めた。その功績を称えた碑である。高さ2.6m。
C-BUS L深伊沢出張所 下車 徒歩5

水神社

鈴鹿郡と三重郡との境を流れる内部川を挟んで水争いが絶えなかった。そこで深伊沢村の舘与左衛門が近隣5ケ村を代表して、幕府に訴えた結果1664年水論裁決が下り、深溝方の一方的勝利で紛争は解決した。その功績を称え祀られる。
C-BUS L深伊沢出張所 下車 徒歩5

道 標

この「道しるべ」は、約1q西方向にある日本武尊を祀る武備神社への案内標識として設置されたもの。同様のものが長澤町の十字路(旧沢田石油店の角)にも土中に埋もれ存在する。
C-BUS  M鈴西小学校 下車 徒歩20

追分開拓碑

入植して苦しい生活の中で開墾に従事し、ようやく今日のような生活が出来るようになったことを永久に残したい願いから、開拓二十周年記念として開拓碑を建立することとなり、24名全員の名を連ね、昭和458月完成する。
C-BUS 長沢 下車 徒歩20

舘甚六翁彰徳碑

深溝に生まれ、鈴鹿土地株式会社を創立。昭和3年三畑耕地整理組合を設立し三畑の開墾事業に日夜寝食を忘れて努力を捧げる。翁の徳を不朽に伝えようと昭和111月建立。
C-BUS Q三畑 下車

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